岐阜の人々の誇り

私は40年程前の岐阜市を知りません。後援会活動を通じて、諸先輩方からお話しを伺うことで日々学んでおります。その中で、岐阜で生まれ育った方々と岐阜へ移住された方々の岐阜に対する気持ちが一致している事で心温まる想いと我々世代に託された義務と責任感をひしひしと感じています。

今から40年程前の岐阜市は、駅近くや柳ケ瀬では夜でも真っすぐ歩けないくらいの人込みで、日本第3の都市と言われた名古屋よりも活気があり、エネルギーに満ち溢れた街だったそうです。私は岐阜でこのような状況に遭遇した事は有りませんが、国内外の成長著しい地域へ仕事や旅行で訪れた際に出遭った事は有ります。

そのように人々の活力が満ち溢れた街では、多種多様な人々が将来に希望を持ち、雑多で混沌としながらも交流しあっていました。仕事を通じて自分の専門性を更に磨いたり、働きながら世界一流の大学院って汎用性を広げたり、今日より明日が良くなるよう努力している人々で溢れていました。このような地域は、程度の差こそあれ国内地方でも存在します。

岐阜市でこのような経済発展を経験してきた世代の人々が、我々世代に期待する話は大きく2分します。1つは、経済衰退によって老後の先が見えない時代を、我々若者世代に託して解決して欲しいと委ねる人々。もう1つは、岐阜をこのように衰退させて申し訳ないと謝る人々です。岐阜県外から市内へ移住されて40年以上経つ人も同じ思いです。

ただ、これらの方々に共通している事は、岐阜を愛してやまず、誇れる岐阜の衰退を悲しく思っている事です。この思いは我々世代も同じです。だからこそ、将来に希望を持ちましょう。思った事以外は言葉になりません。言葉になったことしか具現化されません。自分の誇れる街を卑下したり、何も無いといったりする文化では、県外や海外の人に誤解を与えます。

一人一人の小さな言動の積み重ねが街を発展させていきます。だからこそ、我々の日々の想いや行動次第で必ず、これからも誇れる街へと復帰していけると私は信じています!世界に誇れる地方都市として飛躍できると信じています!

 

(写真)敬愛する吉村先生と金華山を背景に